今日も仕事
今日は日曜日だが仕事である。
昨日も自分の案件で仕事でだっだのだが、今日は誰でも(若手社員でも)出来る簡単なお仕事による出勤。
土曜も日曜も仕事とのスケジュールになっている傍ら若手社員のスケジュールはどうかというと土日とも休みの人間がいる。
どういうスケジュールしとんねん
お前たちさぁ…仕事ないんだったらやってくれよ、これくらいのこと。
なぜおっさんが家族との時間を犠牲にして働いてるのにお前ら独身若手社員が優雅な土日過ごしてんねん…俺の世代から言わせれば全く考えられん。
と言いながらもこの状況を自ら変えるのも難しいと考えるので何も言えない。
今日の簡単な仕事は当番制になっており、奴らの中での平等性は回数でしかない。みんな同じ数当番やりましょうということ。
こちらの言い分としては、お前らはそれしかないからいいよなぁ…ということ。お前らが出来ない仕事をこちとらやっとるんじゃあ。出来る仕事くらいやらんかい。
と言いたいのだがまたしてもこの考えを阻む理論が立ちはだかる。
こいつらより高給もらってるんだよなぁ…
われわれおっさんは相応の働きをせねばならない、奴らは安い給料だからその程度の仕事しかしない、という理屈になるかなと。
しかし何というか…
ハッキリ言って俺は若者が嫌いだ
あいつらを見てると日本終わったなとしか思えない。
あいつらの時代が来た時にたぶん何も出来ないぞ。
生きるには辛いことを受け入れないといけない。辛い仕事はオワコンだという風潮があるが、現代人の人生が終わるまでに辛い仕事がなくなることなんかないだろう。
辛い仕事をしなくてよい社会という幻想に期待しているあいつらはきっとこの先何も出来ないまま歳をとっていくことだろう。
まぁあいつらの時代のことなんか俺は知らんけど、少なくともあいつらがダメだから俺たちおっさんはいつまでもあいつらの至らなさに付き合っていかねばならん。
最近老化による体力や気力の低下を実感しつつあるので先行きが不安でならない。
無能な人間は無視したいところだが…
どごぞの課長が何の交渉もせずに先方の希望を受け入れ、あげく俺にやれと言う。それも今すぐに。こちとら忙しい。
しかし素直に受ける俺ではない。先方に事情を説明して時間をもらえることになった。
ただし…
この交渉は誰でも出来た交渉ではないと思ってる。俺だからできた交渉だ。
しかしなぁ、しかしなぁ…しかしだなぁ!
前から言っているが、俺じゃなきゃできない仕事を作りたくないんですよ、上司の皆さん!
そんな訴えから目を背け、人ごとと思っているようにしか見えない管理職にイライラするんですよ。マジでイライラする
基本的に馬鹿には関わらないようにしているんだけど、向こうから寄って来られるとどうしようもない。
いやほんとね、イライラが絶頂に来ると仕事が手につかなくなり身体が震え始めるのですよ。頭おかしくなりそうだわ。
変な奴が寄って来た時の対処方法を見つけるのは今後の課題ですな。
今のところ顔を合わせないようにするくらいしか思い付きません…
偉い人ってこの辺どう対処するのか興味深い。
会社員は所詮決められたパイでしか仕事ができない
面倒くさい仕事の依頼が来る。
マジで面倒なので断りたい雰囲気を醸し出していたのだが、あまりにも察しが悪いと思ったのでまた「断りたい」とはっきり言った。
先方の反応はというと「あっちにもこっち(俺)にもできないと言われて拉致が開かないんですよ」とのこと。
知るかそんなこと
そもそもなぜこっちに断る権利がないような言い分なんだよ、お前は。
所詮彼は与えられたパイでしか仕事が出来ない。それに関して言うと俺だってそうだ。
現代の日本のサラリーマンなんてのは自分で新たな人脈や商流を生み出す力がないのかそういう発想がないのか。
面倒くさいもんな、そんなの。
頑張らなくても給料貰えるんですよ。逆に頑張っても大して給料上がらないんですよ。そりゃあモチベーションなんかわかないだろう。
話が逸れたけど、俺の周りのサラリーマンは与えられたパイでしか仕事をしない。だから依頼する側が無理にでも依頼を成立させようとするし、受ける側には明確な断る理由が持てない。
依頼してくる人はいくらでもいる、面倒な仕事はお断り!楽しい仕事だけしか受けない!
と言ってみたい。
結局のところ、「正直断りたいんですよ」と先方のに言ったものの、また時期が来たら考えてみましょうという期待を持たせる形で会話を終わらせてしまった。俺の中で謎の良心が芽生えたらしい。
でもそれって良くないことですよね。ハッキリ断って今すぐに別の手を考えさせて上げないと。ていうかやりたくない言うてるんですがね…
子会社は辛いよ。
仕事を断ることに罪悪感を感じたり感じなかったり
仕事に関する話。
割と色んな案件を抱えていてほどよく忙しい。
そんな中、スポット的な対応を求めてくる人がいる。そんな時に「忙しいんだよ、ふざけんな、ほかあたれや」と思うのだが、私が断ると他の誰かがやることになる。それはちょっと申し訳ないと思ってしまう。
この罪悪感は何とかならないものか。
一方、しんどいからさっさと仕事を手放したいと言わんばかりの輩が仕事を依頼してきた時は、理不尽上等で「無理。無理っすよ」と本来私のやるべき仕事だろうが何だろうが拒否する。
お前の仕事やろが!
だが、断る
である。
そんな感情の起伏に疲れる今日この頃である。
人間の感情って忙しいっすね。
日記
日記を書こうと思ってこのブログを始めたわけですが、日記ってなかなか難しいですね。平凡な生活を送っているのでこれといって何もない。
強いて言うなら5年以上前に購入したガンプラのサザビーをコツコツと作っております。
組み上げは終わっていて、今はシールを貼っていってます。
昔はこのシール貼りが大嫌いで全くやらなかったのですが、今はコツコツと少しずつ丁寧に進めていくのが楽しいです。
シールはまだ100枚以上残っているので完成までにしばらくはかかりそう。
シールを貼り終わったら色でも塗りたいが、どこにどんな色を塗れば良いのかが全くわからない。
余計な心配をせずにとりあえずシールをきちんと貼り終えることだけを考えていこう。
完成したら記念撮影でもしたい。
ちなみに只今AM3:57。仕事の真っ最中です。眠いけど寝れない。待ち時間が長く暇なのでこうしてブログを書いているのである。
そういえば昨日ブログをやっていることが妻にバレてしまったという話。気が動転して4年続けてきたブログをやめようと思ったのですが、やっぱりあのブログは捨てたくない。
これを機に妻にブログをオープンにしてより良いブログライフを送るようにしようと思う。
そもそもですが、妻が見て気を悪くするような記事を書いていたことを反省すべきで、これでは極論ネトウヨと同じだなと思いました。
というようなことを考えていると趣味が良い方向に向かっていくような気がします。
とうとうこの時が来てしまった
何ちゅうタイトルから始まるねん…という感じですが。
今日、長年続けてきたブログが妻に見つけられてしまいました。
そこには妻に対する多少の不満も書いてあり、それを妻が見つけてしまった。
「多少」と言っているのは、やや不満があるものの私なりに妻に気遣っており、私の中ではそこは頑張って受け入れようという内容だからであります。
まぁそんなことは…と言ったら怒られそうだがそこは問題ではなく、見られたくないものを妻に見られてしまったこと、存在を知られてしまったことが問題なのです。
私は身近な人達(家族や友人、同僚など)にブログやSNSを見られたくないので、ひっそりとこの何年間も隠し通してきたのですが、とうとうバレてしまった。
日記を見られたら辛いでしょう。恥ずかしいというか、何と表現をして良いのかわかりませんが、とにかく絶望しかありません。
それと同時に私はブログを書くのがとても好きなんだなぁと思いました。こんな楽しいことはありません。
ブログがバレたと騒いでいながら、こうやってわざわざ新しいブログを立ち上げてまで書いているのはその証拠だと思います。
私のブログを見つけた妻はこう言いました。
「どうせいろんなところで私の文句を言ってるんでしょう?」
「どうせまた違うブログ作って続けるんでしょう?」
全部見透かされていました…
今回ブログの存在がバレた原因はInstagramでした。
妻もInstagramをしていて「知り合いかも」みたいなので私を見つけてプロフィールに載せていたブログのURLで発見したとのこと。
おそらく認証か何か登録していた電話番号で「知り合いかも」に引っかかったんじゃないかと推測しています。
もうね、SNS怖いよ…
リアルな人間関係は切り離してブログやSNSのネット活動をしていたかったのに、こんな思わぬところで簡単に妻に見つかるなんて。
このブログが見つかるのも時間の問題かもしれません。
しかし私の最大の趣味であるブログをやめたくありません。
これからどうしていこうかな…